夢の浮橋

壁打ち独り言

好きなアイドルの話

(敬称略)


欅坂の横アリ、新潟公演の感想をツイッターで見た。今の平手友梨奈の、コンサートができない・パフォーマンスができない状態がほんの少し中森明菜と重なってしまう


私は現在20代前半で、全く世代ではないのだが、中森明菜が大好きだ。彼女のビジュアルや歌唱力も魅力的だけど、何よりも80年代後期の彼女がマッチのことで心を病んでいく様があまりに不器用で、悲しくて、見ていて辛くて。でも聖子ちゃんやキョンキョンのようにぶりっ子な世渡り上手にはなれない明菜が愛おしくて。うまく言葉には表現できない、彼女の複雑な「陰」の部分にどうしようもなく惹かれてしまう。しかしながら、彼女の楽曲の歌詞は、ほとんどがプロの作曲家(売野雅勇井上陽水等)が作詞したものだ。(彼女自身が作詞したものも数曲あるが、それらはヒットはしていないし、他の楽曲と比べる

と歌詞が薄っぺらいなと思ってしまった。)

ひょっとしたら、私が惹かれてやまない中森明菜像は、凄腕プロデューサーらの手にによって作られた”まやかし”かもしれない。私が信じている明菜は、本当の中森明菜ではないかもしれない。私は彼女以外の誰かが書いた歌詞と中森明菜を重ね、私の中の”理想の中森明菜”を創造してしまったのかもしれない。そう頭では分かっているのに、時々彼女が自分の本心を歌に乗せて伝えているように見えてしまうのだ。(1988/01/06 夜ヒットで涙を流しながら歌った『難破船』がその一例である) 愛の苦しみに飲み込まれ、踠き、悲しむさま。その根底にある孤独と覚悟、そして強さ。気になる。気になってしまう。近づきたくはないけど、もっと貴女のことを知りたいと思ってしまう。


私は恋愛がどうしても苦手である。基本的に男を恋愛対象として見ることができない。男性から好意を寄せられるたびに、自分はこの社会における「女」であるのだと思い知らされ、居心地が悪くなってしまう。一方で、萌えの対象は女の子であるが、日常生活においては女の子に対しても何の感情も覚えない。(最近気づいてしまった。少し前まで女の子とは恋愛できるかもと思ってたけど、男がダメなら女で!みたいな削除法的考え方は間違っていたと気がついた。これに関しては、もう少し長い時間をかけて向き合ってみる予定)私は何やら恋愛とは縁がないようだ。だからこそ、恋に身を焦がしつつも、1人の「女」として強くあろうとする中森明菜像は、私とは別物でありながら、まぶしくて手の届かない憧れのものであるのかもしれない。


不毛だと分かっている。それでも私はアイドルを推さずにはいられない。アイドルを恋愛対象として見ることはできないが、私は己の失われた青春を、生きる希望を、なりたい自分を、彼女らに託しているからだ。